パーカッショニスト・池上英樹


by ikegami_hideki

村上春樹氏のインタビューから

時事通信の公開インタビューからの抜粋です。総合小説という考え方、書けないけど、書きたいことはいっぱいあった。などなど共感するところがいっぱいです。

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 僕は普段、あまり人前に出ません。テレビやラジオに出たことはないし、講演もまずやらない。普段は人前に出ないのは、普通の生活を送る普通の人間で、地下鉄やバスであちこち行くので、声を掛けられるのは困るんです。もともと、そういうことにあまり向いていません。この前は、自宅の近所をジョギングしていたら呼び止められ、「村上春樹の家はこの辺にありますか?」と聞かれ、「分からない」と言って逃げました。

 文章を書くのが仕事だし、他の事にはあまり首を突っ込みたくない。僕のことはイリオモテヤマネコみたいに絶滅危惧種の動物と思っていただけたら、ありがたいです。

 物語とは人の魂の奥底にあるもので、小説を書くときは深いところまで降りていく。そんな僕のイメージを丸ごと受け止めてくれたのは河合先生以外にいませんでした。

 河合先生は臨床の現場でクライアントと向き合い、相手の魂の暗いところに降りていったのでしょう。よく駄洒落を言われましたが、絡みつく闇の気配を振り払うために必要だったのだろうと解釈した。僕の場合、外に出て走ることで、小説を書くことで付いた闇の気配を振り落としてきました。

会話でつないでいくストーリーはわりと好き。難しいのは、会話が重なっていくうちに体温が変化している感じを出さないといけないところです。

 今までの小説では1対1の人間関係を描いてきたけれど、今回は5人という大きなユニット(の関係)だった。「1Q84」という3人称の小説を書いた後だったので、それとはまた違う形で(3人称の物語を)書きたいという気持ちが出てきたのでしょう。

僕は小学4年生ぐらいから急に本を読むようになり、図書館に通って手当たり次第に読みました。中学に入ってからは19世紀文学に浸りっぱなしで、体に染み付いている。「戦争と平和」「カラマーゾフの兄弟」は何度も読んだ。日本の小説は大学に入ってから読むようになった。夏目漱石、谷崎潤一郎など、文章のうまい人たちが好きです。

 最初の長編2作は、ジャズの店をやっていて、仕事が終わってから時間を見つけて書いていた。まとまった物語を書く余裕はなく、小説を書く訓練を全くしていなかったので、書き方が分からなくて。しばらくして店をやめて1日好きなだけ時間を使って書いた。思いつくままに書いていく中で「物語」を書ける喜びにつながり、「僕は向いているんだ」と思うようになりました。

 小説を書き始めたころ、書きたいけれど書けないことがいっぱいあって、書けることを集めて書いていた。書きたいことを書けるようになったと感じたのは2000年ごろだった。

 「1Q84」は全部3人称で書いたが、長編の3人称はすごく難しい半面、たくさんのことを書ける。どこにでも行けるし、誰にでもなれる。幾つものミクロコスモスが反応し、総合小説という僕のやりたかったことのフォーマットができました。

僕の本を読んで「泣きました」と言う人がいますが、どちらかというと、「笑いが止まりませんでした」と言われる方がうれしい。「泣く」というのは個人的なものだけど、笑いはジェネラル(一般的)なものだと思う。「悲しみ」という内向きな感情も大事だが、ユーモアの自然さ、自由さみたいなものがすごく好きで、文章を書くときはユーモアをちりばめていきたい。

 物語に深みや奥行きを与えるのはすごく難しい。音楽も同じだが、読者に感応してもらえれば、その周りの人に共鳴し、ネットワークができていく。「どうして僕が考えていることが分かるんですか」と言われると、すごくうれしい。

 僕は音楽が好きで、音楽を聴きながら仕事をしていて、音楽に励まされている。小説の書き方は誰にも習っていないが、ジャズのリズム感が染み付いているので、演奏するみたいに書けばいいんだと思った。

小説を書くときは集中し、一生懸命に書いている。朝早く起きて、夜は早く寝る。手抜きをしないのは僕の誇りです。

 
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by ikegami_hideki | 2014-11-03 09:41 | nikki