移民の国から
2010年 12月 27日
来年10月に三重県で公演予定の”りべーろとまり村”という音楽研究団体の会報の一部を転載させていただきます。このところ演奏していたアメリカの作品を弾くきっかけにもなった印象深い文章です。ニューヨークに滞在したときの気持ち、アメリカ大使館で演奏した時の想いが蘇ります。
新聞記者:真鍋弘樹さんの文章です。
<米同時多発テロから9年が経った今年、ニューヨークの街角は、いつもとは違う空気に包まれています。テロで崩壊した世界貿易センタービルが建っていた場所、「グラウンドゼロ」の近隣に、イスラム教礼拝施設のモスクを建設するという計画が発端でした。これに反対する市民運動が起き、さらにはイスラム教の聖典コーランを焼き捨てる計画を公表した協会まで現れました。
野火のように広がる「反イスラム感情」に、米国の建国の理念のひとつである「信教の自由」はいったいどうなっているんだ、と思った方も少なくないでしょう。ですが、これも「自由の国」アメリカの横顔のひとつです。自由、平等の理念と差別、偏見の意識がせめぎ合う歴史を、米国は歩んできました。
深南部と呼ばれるアラバマ州のバーミングハムを訪れた時のことを思い出します。この街は以前、ボム(爆弾)ミングハムと呼ばれていました。
60年代、ここはアフリカ系(黒人)住民らによる人種差別撤廃運動の中心地でしたが、それに反発する白人優越主義者らが爆弾テロを繰り返したのです。1963年9月15日には、クー・クラックス・クラン(KKK)によって仕掛けられた爆弾が、中心部の教会で炸裂。11歳から14歳までの4人の黒人少女が命を落としました。
その教会を訪ねたところ、赤い煉瓦造りの建物は美しく修復され、当時の惨状を思い出させるものは何も残ってはいませんでした。わずか半世紀前、この国では、人間として当たり前の権利を主張するだけで、命を奪われたのです。
この近くで、30年以上営業しているという床屋の店主は、こう話しました。
「わしが見てきたことをあんたに言うには何ヶ月も必要だが、これだけは言える。両親や祖父母、曽祖父母たちは、今のわしらが暮らしている時代を作るために、すべてのことを耐え忍んできたんだ」
店主が薦めた近くの食堂に入ると、フライドチキンの食欲をそそる香りが立ちこめていました。
元々、奴隷として大農園で働いていた黒人たちが、白人が食べない余り物の骨付き肉を食べるために編み出した料理法です。
パリッと揚がった皮にかぶりつくと、中から肉汁があふれ出る。たっぷりの油でディープフライされた鶏肉は骨まで柔らかく、スパイスの香りがつんと鼻に抜けました。フライドチキンが今では米国を代表する料理となっているのはご承知の通りです。
米国は、理想と感情、寛容と不寛容の間を振り子のように行き来しながら、多様性とは何か、を模索してきました。この街のような凄惨な過去を持ちながら、黒人の大統領を誕生させる。世界中から移民が集まる魅力を振りまきつつ、時には異質なものを排除するぞっとするような陰を見せる。ふたつの正反対の力が今もせめぎ合っている、それが米国という国です。
「米国は、多種多様な人間がいて、まるで虹のようだ。だからこそ美しいんだよ。」
床屋の店主は、そう熱を込めて語っていました。この言葉を、今も時々思い出します。>
by ikegami_hideki
| 2010-12-27 23:20
| nikki